メディアリテラシー
「金持ち父さん貧乏父さん」の著者ロバート=キヨサキが講演した後、質問した人がいた。
「では、一般的な投資家はどのようにすれば良いのですか?」
ロバートは答えた。「まず、一般的であることを止めなさい」と。
私たちは凄い量のメディア情報を浴びて生きています。でも、その情報は正しいのでしょうか? メディアリテラシーという言葉があります。メディアの情報に対して、どのように「つきあう」のか。
・情報には「事実」と「意見」がある
・情報の提供者は意図を持っている
・情報の提供者は最大多数の「耳あたりの良い」情報を発信する
・コメンテーターは、訴訟リスクの少ない相手を攻撃する
ということですね。これって、当たり前の話です。
メディアの情報、「新聞に書かれたから」「本になっているから」「偉い先生が言っているから」、「その情報が正しい」ということは一切ないのですね。あと、「NASAが開発したから→良い」とも限らないのですね。
世の中に「一般ピープル」なるものが存在するとしたら、
A)「一般ピープル」はどのように、その情報を受け止めるだろうか?
B)「一般ピープルでない自分」は、どのようにその情報を受け止めればよいか?
という二つの質問を自分自身に投げかけてみてほしいのです。
A)を研究しないと、例えば株式投資はうまくいかないことでしょう。「株式投資は美人投票である」というケインズの明言があります。自分がその人を美人であると思うかどうかは無関係で、「多くの人が美人と思う」銘柄に投票しなければ儲かりません。
また、マスマーケティング(テレビCMを打って消費者に売るような販売)に携わっている人とか選挙参謀も、A)へのたゆまない研究が必要になります。
日本人は「変な人」「変わった人」とみなされると生き辛くなり、極端には絶望します。小学校から職場、老人ホームまで、「変な人」が排斥され、時にいじめの対象になります。多くの人は、「変な人と言われないように」多くのエネルギーを使います。
「顔黒」のような奇抜なファッションも、その少女が属しているコミュニティにおいては顔黒がスタンダードであって、そのコミュニティで「美白」を主張するといじめられてしまう、なんてことが起きたりしたのかもしれません。
ところが私はちょっと変わった父に育てられました。父は子供時代から言われのない差別を受けていじめられ、海外への憧れを強く持ちました。その気持ちが学徒動員で徴用され、武器弾薬もないのに拘束されて、ひたすら上官に殴られるという体験から日本社会への憎悪にまで発展し、子供の私に対しても、「日本人としての普通」になるな、という教育をしました。ですから、私には「変な人と言われることへの抵抗感」が育たず、自分のユニークさを守るように生きてきたのですね。
だから、今はむしろ(A)からの見方を勉強中です。