サラリーマンの生涯所得は2億~3億と言われます。そのうちの2割が所得税、年金保険料。残りの8割が手取り。すなわち、1.6億~2.4億。
基本生活費を月額15万円として70年間で1.3億。住居費は賃貸でも持ち家でも約0.8億。教育費は、子供一人あたり1500万円。
子供二人の世帯だと、生活費、住居費、教育費の合計が2.4億となります。なんのことはない。これで生涯所得が全部吹っ飛んだ。
少子高齢化によって老齢年金の仕組みが事実上崩壊したという議論があります。老後の資金を制度に頼れず自分で準備しなければなりません。そのことのインパクトは非常に大きなものです。65才でリタイアしても、月25万円くらいの生活費を30年分用意すると言うことです。9000万円です。今後の年金制度があなたの世帯に9000万円支払ってくれると期待されますか?
このうち、3000万円は何とか老齢年金から支払われたとしても6000万不足します。
どうするのでしょうか?
実は日本人のほとんどがこの単純にして重大な事実に直面していません。平均寿命が長くなっている中での老齢年金制度のぐらつきは実は大変なことなのです。というのも、若いときには頑張りが効き、無一文になってもやり直すパワーも能力もありますが、リタイアした年代ではそうはいきません。
若い頃には、「ここ一週間1000円で暮らしたよ」なんて貧乏話が楽しく交わされます。でも、これは若い頃だから良いのであって、年を取ってからの貧乏は非常にこたえます。
「私は60歳までに1500万円貯めてください。」と言っております。
50歳で始めると、年額150万円。毎月12万円以上貯めなければなりません。50歳と言えば子供が高校大学で最もすねをかじられる年代、そして、老親が介護状態になったりしている年代です。そのときに月間12万円を貯めることは、それはそれはきついことでしょう。
40歳から始めると、年額75万円。毎月6万円。簡単ではないけど、不可能ではないペース。
じゃあ30歳だったら・・年額50万円。毎月4万円。まだ安月給かもしれないけれど、やりくりすれば可能ですよね。多少でも利回りがあれば60歳の時には1500万円を超えているかもしれない。
問題は、30歳の人が自分の老後を真剣に考えることができるかどうか、ということです。想像力を働かせてもらうしかありません。
私は、この単純にしてはなはだ不都合な真実を多くの人に知ってもらうことに情熱をかけています。この真実をしっかり受け止めるところからファイナンシャルプランニングが始まると言っても言い過ぎではありません。
2009年11月25日10:30 AM|
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日本人は明治時代に「都市生活者」というものを生み始めた。身分が固定されていた封建制度が崩れたことで立身出世主義も生まれた。ただし、東京で邸宅を建てられるのは薩長藩閥でなければ無理で、大部分は借家住まいだった。
日露戦争後は財閥の力が強くなり、三菱・三井の経営者とその一族郎党(関西では住友・鴻池)が豪壮な邸宅を建てるようになる。渋谷・新宿より西側地域の宅地開発も始まった。
戦後、東京・大阪の大都市圏は空襲により大きな被害を受け、少しずつ都市設計がなされていく。地方は農地改革によって小作人が地主となった。「この土地は自分のものだ」という大きな喜びを感じたことだろう。ただし、工業化に伴う経済成長の果実を地方・農家に流し込む田中角栄の諸政策(食管制度、道路特定財源など)が機能するまでは貧しく、農村の中卒者は「就職列車」に乗って集団就職していった。
核家族化が戦後進展していく。それは、農業から重化学工業への労働力のシフトだった。江戸時代~大正次代までの都市生活者以外のライフスタイルは、大家族がちょっと大きめの家に3世代が住み、農業には家族総出で取り組む。子育ても老親介護もファミリー内で行うというものだった。そこには家父長制の下で家に縛り付けられた女性たちの犠牲があった。
昭和40年代には経済高度成長を国民誰もが実感するようになった。都市郊外圏に団地やニュータウンが続々と建設された。「マンション」という名の建物も多く建設され、持ち家率は急上昇していく。昭和45年からは減反政策が始まり、農業から工業に転じて豊かになっていくという流れが当たり前になった。
昭和50年代までのサラリーマンは、「定年後は帰省して百姓やるんだ」と思っている人も多かった。故郷の山や川がアイデンティティで、「故郷に錦を飾る」という言葉がまだ存在していた。しかし、「兎追いし彼の山。小鮒釣りし彼の川」という郷愁やノスタルジーを減反政策の現実が襲う。故郷に帰ってもそこで農業には戻れないのである。また、田中角栄の目指した「地方への重点公共投資」は建設省国土省の霞ヶ関官僚が作った企画どおりの工事がなされていき、地方は均質化。地方圏の自然破壊も顕著になり都市に馴れた人を呼び戻す魅力を欠くようになっていった。
購入した自宅が「終(つい)の棲家」という意味を持つようになる。これが持ち家への執着を強化することになった。
日本人の多くが家を所有するようになって50年ほどしかたっていない。なのに、多くの人は、「昔から日本人は持ち家を求めていた」と言う。それは錯覚なのだ。
2009年9月4日10:10 AM|
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日本人の意識は、
江戸封建社会→尊皇攘夷→明治富国強兵→大正デモクラシー→昭和戦時体制→戦後GHQ体制→工業化と高度成長→
というように激変を続けてきた。
男性にとっては、武士の宮仕えが軍隊を経て公務員やサラリーマンに変わった程度の変化だったが、女性を巡る環境変化と意識変化はさらに大きかった。完全に「いえ」の中に押し込められて自由な生き方など望むべくもなく、しかも、家族のすべての仕事、すべての矛盾を背負わされていた。
そんな「旧時代の女の生き方」を洗脳する仕組みが「姑による嫁教育」だったのだが、戦後の平等思想を吹き込まれた女性が封建思想教育を受け入れるわけがない。
テレビの放映が始まってから「嫁姑ネタ」は連綿と続いている。対立が先鋭化すると別居するしか解決策はなくなる。このことも核家族化を不可逆にしていった。
介護保険制度(2000年)は老人問題の解決策という側面だけでなく、女性問題の解決策でもあった。「親を老人ホームに入れるとは何たる嫁だ!」という有言・無言の圧力を受けてきた女性を介護から解放するという意義だった。家父長制度はここに完全に終焉する。
昭和62年に男女雇用機会均等法が発効。それまで、「就職までの腰かけ」とか「行儀見習い」「お茶くみOL」といった位置づけだったが、同等の役割を負えるようになった。しかし、真の意味で女性が堂々とビジネスシーンで活躍できるキャリアプランが描けるようになったのは、外資系企業が多数進出するようになってから。21世紀を待つ必要があった。
女性が同等の役割を負うようになると、女性の能力は男に劣るどころか責任感をはじめあらゆる意味で優れていることがあきらかになる。きちんとした役割を与えられるほど責任が拡大し、簡単に退職できなくなった。結婚しても勤めを続けることが前提となり、「寿退職」も死語となりつつある。25歳を「クリスマスケーキ(25日には価値を失う)」と言うのが流行ったのは実は1990年のバブル景気の最中だった。バブル景気に浮かれているように見えた女性も頭の片隅に結婚の二文字があり、「今のうちに遊んでおこう」という意識もあった。
今や女性が結婚を選択しない時代。一生独身の生き方を自然に選択できる時代。核家族は個族化に向かっている。
しかし、その一方で「生む性」としての役割から完全に逃れることはできない。かつてお産は故郷の大家族に守られた形で行われていた。しかし、今は実家も核家族で大きな家ではない。かつては母親が一日中農作業していてもジジババが子守をしてくれたが、それが期待できないことも多い。孤立無援の中、専業主婦だった母親と同レベルの育児を行おうとして、育児ストレスに襲われている。
2009年5月15日10:43 AM|
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このほど劇団四季の「ライオンキング」を観ました。
ライオンキングは手塚治虫のジャングル大帝を手本に置き、子ライオンが百獣の王に育つ物語にしぼった内容です。
猿が登場します。この猿は動物王国の智恵の象徴、動物王国の歴史をつかさどり、節目節目をマネージする役割です。子ライオンのシンバが過去の罪悪感に囚われ、それから目をつぶるために「ムクタマハーハ(なるようになるさ)」と自分に言い聞かせているのを見つけて言います。「お前は百獣の王なのだよ。そのことを忘れたのか?」
この言葉をあなた自身に言ってみて欲しいのです。大きく深呼吸をして、意識を自分の深いレベル、本質のレベルにセットして言ってみて欲しいのです。どうでしょうか? 自分の中から何か響くものがありましたか?
日本人は現在必要以上に「うつむき加減」に生きています。年金の5000万件が何ですか、少子高齢化がなんですか、政府の迷走がなんですか! 確かにそれらが色々な意味であなた自身に影響することは事実です。大事なのはあなたがあなた自身の価値、誰が否定しようと堂々と「私は○○です、そんな私はこれをやるのです・・」と言い切ることができる自分自身、そして「何か」に出会い、その「何か」とともに生きることです。失敗してもかまわないです。その上での「ムクタマハーハ(なるようになるさ)」なのです。そうすると「あなただけの王国」を(それこそ、あっという間に)築き上げることでしょう。
もう政府に頼るのはよしましょう。会社に埋没するのはよしましょう。どんな仕事でも「かけがえのない自分」がするベストな結果を出すように努めましょう。あなたが社会(マーケット)に対して自分を問うのです。マーケットが何らかの判断をしてあなたに富をもたらします。それ以上でも、それ以下でもない、とてもシンプルな話なのです。このことをきちんと感じ取ることがファイナンシャルリテラシーなのです。
そのお金をどう運用するかとか、税金を最小限にするためにはどうしたらよいかなどというような小賢しい(こざかしい)ことばかりを考えることがファイナンシャルリテラシーではないのです。そんなことは専門家と相談し、さっさと方針を決め、さらさらっと実行し、余計な心配を取り除いちゃってください。そうすることで本業、そして家族との(貴重な時間)へのシェア(配分)を増やしてほしいのです。
あなたがサラリーマンであれ、公務員であれ、二世経営者であれ、いつでも「本来の自分」とともに生きるべく舵を切る勇気を持っていただきたいのです。
2009年4月1日12:40 PM|
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