ストーリーメーク

先日出会った人がおもしろいことを言っていた。その人は桑田佳祐の依頼で、恋愛のさまざまなストーリーパターンを50とか100とか提供したとのこと。それらのストーリーにインスパイアされた桑田が曲作りをするというコラボだった。

それをきっかけに彼は、「ストーリーメイクコンサルタント」と言うべき活動をしている。「吉田さん。今の日本に欠けているのはストーリーですよ。」と語る。

ソニーのIR担当者が、海外の投資家巡りをした。「で、ソニーは今後どうなるのですか?」との問いに対し、IR担当者は、売上げ数字と利益見込みのグラフを示すことしかできなかった。ストーリーを示せなかったのだ。

盛田昭夫の天才的マーケティング力、それはストーリー作成力と言っても良く、ウォークマンなどのヒット商品を連発してきた。そんなソニーすら、「ストーリー不在」に苦しんでいる。

日本人はストーリーに影響されてきた。古くは「尊皇攘夷」。これがあっという間に「文明開化」「殖産興業」に転換する。さらに、「鬼畜米英」「欲しがりません、勝つまでは」などを経て、「一億総ざんげ」に至る。

その後は「所得倍増」を目指した。とにかく真面目に働いて、ドンドン開発される電化製品を買って豊かな生活をする、そんな目標に反論する人はほとんどいなかった。「三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、掃除機)」「3C(カラーTV、カー、クーラー)」を持てれば幸せになれた。幸せになると思えた。

そして、「新三種の神器(デジタルカメラ、DVDプレーヤー、薄型TV)」もほとんどの人が手に入れた現在。日本人の多くは共通の目標を失ってしまった。目標を自分自身で探し求めても良い。それは、ある人たちにとっては「選択肢が広がって幸せ」と言えるが、その以外の人にとっては「苦しみ」となる。電化製品はちょっとアルバイトすれば手に入るのに、目標を手に入れるには「自分探しの旅」に出なければならないのだ。

青年は昔からアイデンティティの危機を経て大人になっていく。これがうまくいかない状態を「モラトリアムの時代」とか「シンデレラコンプレックス」などと議論されてきた。いまや青年に限らず、子供を持つ世代も含め社会全体を覆っている。「目標を失う」という、豊かさゆえの苦しみ・・ 自殺者、引きこもり者、鬱病患者、親殺し・子殺しの激増。その根本原因のひとつはここにあると見る。

今後、20代30代の貧富の差が拡大していくことが予測される。そのことが社会の精神的不安定に拍車をかけることだろう。

これからの日本にふさわしいストーリーが求められている。国際競争にも適当に参加して果実を得、国内の弱者が健やかに生きていくことができるようなストーリーを。

メディアリテラシー

「金持ち父さん貧乏父さん」の著者ロバート=キヨサキが講演した後、質問した人がいた。

「では、一般的な投資家はどのようにすれば良いのですか?」

ロバートは答えた。「まず、一般的であることを止めなさい」と。

私たちは凄い量のメディア情報を浴びて生きています。でも、その情報は正しいのでしょうか? メディアリテラシーという言葉があります。メディアの情報に対して、どのように「つきあう」のか。
・情報には「事実」と「意見」がある
・情報の提供者は意図を持っている
・情報の提供者は最大多数の「耳あたりの良い」情報を発信する
・コメンテーターは、訴訟リスクの少ない相手を攻撃する

ということですね。これって、当たり前の話です。
メディアの情報、「新聞に書かれたから」「本になっているから」「偉い先生が言っているから」、「その情報が正しい」ということは一切ないのですね。あと、「NASAが開発したから→良い」とも限らないのですね。

世の中に「一般ピープル」なるものが存在するとしたら、
A)「一般ピープル」はどのように、その情報を受け止めるだろうか?
B)「一般ピープルでない自分」は、どのようにその情報を受け止めればよいか?
という二つの質問を自分自身に投げかけてみてほしいのです。

A)を研究しないと、例えば株式投資はうまくいかないことでしょう。「株式投資は美人投票である」というケインズの明言があります。自分がその人を美人であると思うかどうかは無関係で、「多くの人が美人と思う」銘柄に投票しなければ儲かりません。

また、マスマーケティング(テレビCMを打って消費者に売るような販売)に携わっている人とか選挙参謀も、A)へのたゆまない研究が必要になります。

日本人は「変な人」「変わった人」とみなされると生き辛くなり、極端には絶望します。小学校から職場、老人ホームまで、「変な人」が排斥され、時にいじめの対象になります。多くの人は、「変な人と言われないように」多くのエネルギーを使います。

「顔黒」のような奇抜なファッションも、その少女が属しているコミュニティにおいては顔黒がスタンダードであって、そのコミュニティで「美白」を主張するといじめられてしまう、なんてことが起きたりしたのかもしれません。

ところが私はちょっと変わった父に育てられました。父は子供時代から言われのない差別を受けていじめられ、海外への憧れを強く持ちました。その気持ちが学徒動員で徴用され、武器弾薬もないのに拘束されて、ひたすら上官に殴られるという体験から日本社会への憎悪にまで発展し、子供の私に対しても、「日本人としての普通」になるな、という教育をしました。ですから、私には「変な人と言われることへの抵抗感」が育たず、自分のユニークさを守るように生きてきたのですね。

だから、今はむしろ(A)からの見方を勉強中です。

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